隙間に挟まる話

右耳を信用するな、左が心臓だ。あなたの隙間に、そっと挟まります。

ブサゲソカメラ

 

 


ねむい。

眠い目を擦りながら、起きた朝。

 


……なんだよ、これ。

眼鏡の上から擦ってた。

どおりで視界が曇るはずだ。

 


カーテンを少しだけ開ける。

目の前は大学病院なので、視線が入らない角度を探りながら。

朝から誰かに見られている気がする生活も、それこそもう5年目だ。

 


窓辺には、アロエと金のなる木。

ゆらゆら揺れている。

もちろん揺れているのは私の方。寝起きでフラフラしているからだ。

 


多肉が揺れてたら怖い。

揺れないくせに、アロエの健康の恩恵も、金のなる気配もない。

 


キッチンに立ち、ダナのためにおにぎりを握りしめる。

具は昨夜の残りの塩サバ。

骨はビューラーで取ってある。細い毛…小骨までつまめるんだ、これ。

 


スープはコンソメで煮詰めただけ。

味見はしていない。

朝はだいたい、キューブの信頼で乗り切る。

 


それでも一応「ベントゥー」と呼ぶ勇気だけはある。

駅弁売りのおじさんみたいに言い切ると、それっぽくなるからだ。

 


行ってらっしゃいのチューインガムを膨らませながら見送る。

朝から目覚まし代わりにガムを噛む女を、ダナはまだ愛してくれてるのだろうか。

 


顔も生活もたるみ始めてるっていうのに。

レンズ越しでも、もう守りきれない。

 


鍵の音がして、ダナの背中がドアの向こうに消える。

ようやく部屋が、私だけのものになる。

 


お茶を入れて一息つく。

鳥を飼い、龍を拝み、熱いお茶をすする。

そんな余白が私にも訪れますようにと、願いを込めながら。

そう、これは…サントリーのウーロン茶。

 


思いついたことは、冷蔵庫のホワイトボードにメモすることにしている。

 


LINEの公式トークをゆっくりチェック。

クーポン、占い、セールのお知らせ。

みんな私に用がある。

少しだけ上機嫌で、うすら笑いを浮かべる。

 


通勤ラッシュが落ち着いたら、愛犬の散歩へ。

道の途中で、前が見えにくいことに気づく。

眼鏡を指で擦りすぎたせいだ。

 


世界がぼやけているのか、

私の頭がぼやけているのか、

空が曇っているのかも、指紋だらけで正直よくわからない。

 


危ないので、犬に連れて帰ってもらう。

 


昼。

晩ごはんの仕込みをしつつ、余りものでランチ。

 


冷凍パスタに、茹でたうどんでかさ増しする暴挙に出る。

器は小さめ。量が多く見えるトリックだ。

エキセントリック少量ボウル。これもメモしておこう。

 


午後は、何をしたかあまり覚えていない。

掃除をしたのかもしれないし、買い物に行ったのかもしれない。

 


レシートはある。

……違うよ、これ、のしいか太郎じゃん。

AIの音声モードで、他人みたいな声にツッコミを入れさせる。

 


コーヒーを淹れて、冷まして、また温めて。

 


おやつに、まさかのイカゲソ。

最近イカ率が高い。だって歯応えがあってコスパがいいから。

イカを愛するイカれた女は、

たまにマヨネーズと七味のアクセントを添える。

 


コーヒーには破滅的に合わないので、またぬるくなる。

 


イカでタンパク質を補給しつつ、軽く筋トレ。

M字開脚で上下する動きを、ペット見守りカメラに見せつける。

 


犬より心配なのは、やっぱり私の方だ。

 


夕方。

やることがないので、食べ残していたイカゲソを咥えたままお風呂に入る。

湿って蘇る、ゲソ。

 


贅沢なのか、とうとうイカれすぎたのか、判断がつかない。

喉が渇いてきた。

冷たいサントリーが、やけに恋しい。

 


そしてスキンケア。

鏡に映るのは、エラだけが異常に発達した、おたんこブス。

 


……また、乳液を眼鏡の上から塗っていた。

ここまできたら、何かの病気だろう。

向かいの病院、診てくれるだろうか。

 


朝、乾燥機に入れた服をまた着る。

脱いで、着て、また回す。

畳む前に着るのが、ささやかなポリシー。

 


体がワードローブ。

スペースパフォーマンスだって、最高な私。

 


ダナが帰宅する。

夕食は八宝菜。

レシートと一緒に紛れ込んでいた、のしいか太郎を丸めて入れてみる。

味は間違いない。だって、「クックドゥー」。

 


これは明日のおにぎりの具になるだろう。

 


YouTubeを開き、福袋開封動画を二人で見る。

買ったことは一度もない。…置くところなんてないから。

冒険しない女だって、安全圏からの刺激は欲しい。

 


画面の向こうの落胆が、

なぜかこちらの日常を少しだけ明るくする。

根暗な私の、密かな栄養源。

 


気が済んだら、ダナと歯を磨きながらひと勝負。

モンダミンを長く口に含んでいられたほうが勝ち。

 


鏡のおたんこブスが、フグみたいに膨れる。

 


ブクブク、フグフグ……。

エラブス、エラブス…。

アホらしくて、勝敗なんてどうでもよくなってくる。

 


窓の外で、大学病院の救急車のサイレンが鳴っている。

誰かが運ばれ、誰かが生まれ、私はこの小さなアパートで、

それが耳鳴りなのかそうじゃないのか、ぼんやり判断している。

 


もう寝る時間だ。

 


湯たんぽを抱きしめながら布団に入る。

ぬくぬく気持ちよくて、いい記憶も悪い記憶も、全部忘れそう。

メモする気力は…ない。

 


今日もなんとか一日が終わった。

と、また、うすら笑い。

 


明日こそ、病院へ行ってみようか。

あくびをしたら、伊達メガネがするりと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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